愛はばらの色
愛は鳴りやまぬ鐘
愛はわれらを終わりへと
苦い別れへとつれゆくか
華麗なる地獄の門へとつれゆくか
ああ、だれが知ろう、だれが知ろう?
(タニス・リー『影に歌えば』ハヤカワ文庫FTより)
またしても大変大変ご無沙汰しておりました。
ようやく仕事が一段落・・・というか自分の心の中で一段落できまして、久しぶりに観劇してきました。そちらのだらだら語りです。
赤坂ATCでの、ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」。ロミオ山崎君、ジュリエット昆さん、ティボルト上原さん、マーキューシオ石井さん、死のダンサー中島さんのキャストでした。
昨年から今年にかけて宝塚でも上演されたこの作品、宝塚版は観劇していません。ただその折りにはかなり難曲ぞろいだと聞いたような気がしましたが、さすが外部ミュージカル、歌で現実に戻される部分はなく、ひたすら甘く耳障りのよい音楽に思えました。
さて、なんと言っても「ロミオとジュリエット」でございます。この劇場にいる人のほとんどが結末(詳細はともかく最後はちょっとした行き違いで二人とも死んじゃうのよねぐらいのレベル)は知っていると思われる話に、どうやって新しくドラマ性を吹き込むか。それが期待のうちの多くを占める観劇でしたので、その観点からつらつらと。
なるほどと思ったのは以下の4点。
下手をすれば観客を置いていきかねない若さ故の暴走キャラクターロミオとジュリエットというタイトルロールは重視して、通してみれば、なるほどこの「ロミオ&ジュリエット」はひたすら無垢な若い二人が犠牲となって歴代続いてきた憎しみと罪の連鎖を購う構図を描きたかったのかと納得。いえ、最初のうちは、恋に恋する若い主人公の二人に、「愛ってそんなすばらしいだけのものではないだろう」とちょいとイライラしてしまったおばちゃんだったもので。
18歳まではだめ(結婚は16歳で良いけど)と携帯も持たせてもらえないジュリエットの箱入りぶりもともかく、冒頭の見せ場モンタギューとキャピレットの対立に姿を見せない(大抵そうであったとしても)(憎しみの罪に染まっていない)ロミオ、ロザラインに対する執着などはしょって愛にもまだ無垢なロミオの浮き世離れっぷりもなかなかに感じられ。お母様の溺愛はもちろん、ベンボーリオと密かにロミオに恋するマーキューシオにガラス細工のように大切に扱われていたのねーと言う印象。あまあまだなー。
それはさておき、シェイクスピアの作品を読んでいても二人の犠牲と購いというのは大きな主題だと思うんですが、対立のエネルギーとか猥雑さとか他に魅力的な部分も多いので、これをどどんと真ん中に持ってきた演出はかえって新鮮に感じられました。キャストの二人の初々しさがまた何とも言えませんで。
そして、この真ん中を大事にしてくれて罪無き者という描き方の辺り、この演出は確かに宝塚に向いているかもしれないと思いましたです。
死のダンサー。
黒髪、青白い肌、シースルーの黒いシャツ。このビジュアルに凄い既視感。どなたかご存知ありますまいか。
ベジャール作品でどなたかがこれそのままのビジュアルで踊っていても驚きませんが、一応確実なところでは、西洋絵画のファムファタール、或いは死を象徴する作品を思い起こさせるビジュアルだと。
具体的に言えば、ムンクの「マドンナ」とか、モローの「死せる詩人を運ぶケンタウロス」とか、クリムトの諸作品とか。
1幕2幕とも最後はキリストの磔刑そのものの形をとる死は、美しい中性的で静謐な姿で。ほかの誰かではなく犠牲の子羊たるロミオとジュリエットの苦しみに敏感に反応して。
そう、キリストも、原罪を購い犠牲になったのだと、思い起こさせていいただきました。
ロミオとジュリエットを現代で上演するときは、しばしばクローズアップされるマーキューシオとティボルトですが、この版ではベンボーリオの役割も大きく、モンタギュー側はベンボーリオとマーキューシオ二人で担う感じでしょうか。2幕構成で2幕中盤まででマーキューシオとティボルトが物語から退場してしまう弱さをベンボーリオの青春の追憶で埋めるところは、なるほどと思いました。
いい人なんだけどちょっと鈍感め?という感じのベンボーリオ。この人だけが生き残って大人の世界に入っていくんですね。
マーキューシオの役割は分割されたとしても、この二人に担わせたものは凄いと思ったのは、タイトルロールの無垢さに隠れてしまった感のある愛の惨さ、怖さを充分に味あわせてくれた点です。
この作品では、ロミオとジュリエットが結婚したことは、知れ渡ってしまう。
傷つく(どころか自暴自棄なダメージを負う)のはジュリエットに想いを寄せるティボルト、ロミオに恋するマーキューシオ。
ティボルト!ロミオを殺してジュリエットに告白するなんて、それで受け入れてもらえると本気で思っているの?マーキューシオ、ロミオがあなたに寄せている好意はあなたが心の奥底で求めているものとは違うから!2幕の前半は、そんな事をつぶやいておりました。
かくして、自らその結末を求めたようなマーキューシオとティボルトの死。
だれが知ろう
愛がわれらを導くさきを
若者達から「あんた達のせいだ」と糾弾される大人達ですが。
正直言って一番共感でき、心を添わせたのはこの汚い大人達。
現実に安住し、数々の問題を放置した罪はあれど、そんな彼らも、一瞬美しい至上のものに心奪われるときはあるのですよ。
最後の和解のきっかけになるお母様方の叫びもそうですが、何より、劇中歌として心を鷲掴みにされた乳母とキャピュレット卿のお歌。
今回の観劇で一番の感動ポイントだったかもしれません。
若者達の純粋さに素直に感動するには年を取りすぎているもので。
やっぱり、生舞台はいいな。
当然のことを思いながら劇場を後に出来る幸福。
【宝塚以外・生観劇の最新記事】


